目の端に走る稲妻を見た

つづるずるずる個人メモ(うどん)

瞬間共有症候群

3月に行った旅行の帰りの新幹線の中で友人の寝顔を見てた


次はいろんな種類の温泉があるところに行きたいなとか、また同じところにも行きたいなとか考えた


でもふと、また来れる保証なんてないんだよなと思った


誰かが欠けてしまうかもしれない、もう遊びに行く仲じゃ無くなるかもしれない、恋人と結婚して友人と旅行どころじゃなくなるかもしれない


次に旅行に行く時には、隣にいるのは別の誰かかもしれない


そう思ったら寂しくなった


別にそれ自体は悪いことじゃない

固定の人とだけ交流を続ける必要はないし、接点がなくなれば離れてしまうこともある


でも寂しいと思った こんなに楽しい時間を過ごしたのに、次の確約がないなんて変だと思った


新幹線の中、友人二人の間にはさまれながら、その確約を叶えるのがアーティストのライブじゃないかと思った


ライブは確約されている


会場に行けば、同じものを好きな人と時を共有出来るし、普段1人で聴いてる曲をみんなで聴くことが出来る 


約束されてる


そしてそれは二度と同じものはなく、でも次に来た時には同じものになっているのだ


わたしの隣はいつも変わるし、確かなものはないけれど、けれど同じものを好きな人がいて、わたしもそれが好きだ


そういうことを感じたくて人はチケットを買うのかもしれない